名もなき話
写真は不思議で魅力的だ。今や誰しもが写真を撮る。日々、大量に生まれる写真の多くは記念写真と呼ばれるものだ。
写真が誕生し180年近く経ち、ヴァナキュラー写真が注目され、それを利用し、作品を作るファウンドフォトという手法も生まれた。そしてインターネット上に存在する無数の写真を利用し、自らは撮影を行わず作品を作る写真家も珍しくない。今やどのような写真でさえも作品になる可能性を秘めている。言い換えると写真を専門に扱う人間にとって、この世の全ての写真に注目をせざるを得ないとも言えるだろう。
アートと言う枠組みにおいて考えた場合、カメラを使い、目の前のものを記録する写真本来の力に拘るのはもはや古いのかもしれない。しかし、過ぎていくだけの時間を止めて残しておける力が写真の大きな魅力のひとつであることは変わらない。記念写真という個人的な記録でさえも作品になるのなら、その力にもまだ可能性はあるだろう。写真は時間が経つにつれ、個人的な記録以外の力を帯びる。時間が経つことにより被写体の固有名詞は薄れ、写真に写る多くのものがその時代を表すものとなる。今、撮影された写真がまるで時限爆弾のようにある日、多くの意味や魅力を発揮してくれる。
2011年、日本を大きな地震が襲った。その一ヶ月後、私は個人宅の住居を清掃するボランティアに参加した。住居の泥かきをしている間に、住居の方は廃棄する物としない物を分ける。津波が来なければひとつも廃棄する物はなかった。仕分けるのは難しい。片づけが進む中で、決意をし、多くの物を廃棄するものに仕分けをした。しかし、ほとんどの写真は廃棄する物に仕分けなかった。泥がつき汚れていても写真は廃棄しなかった。写真はありきたりの日々を記録し、それが宝物になり得ることを強く実感した。ならば私は何を写真に残すべきだろうか。
2000年、自分だけが作れる写真とは何かを発端に個性とは何かを考えていた。個性とは元々持っているものと生きている中で培われていくものがあると思った。中でも出会った人に受けた影響は大きい。そこでこれまで自分に影響を与えたであろう15人の友達をそれぞれのテーマを持ち、1人2カットのポートレートを撮影した。雪に埋めたり、川に沈めたり何しろ好き勝手にやった。どのように撮影するかは知り合った頃からの記念写真を見ながら、これまでを振り返り考えた。その作業の中で見た記念写真に魅力を感じ、その作品は私が撮影したポートレートと記念写真の2つを合わせて纏めようとしたがその頃は上手くできなかった。
そして今、何を写真に残すべきかと考えた結果、私は自分が生きた時代を自分の言葉で残したいと思う。あれから17年以上経った今、もう一度、私が撮影した15人のポートレートとその15名のゆかりがあるものを集め、それぞれのこれまでの日々をキーワードに撮影場所や方法を決めて撮影した。
そこに写っている多くのものは名もなき個人的な物語にまつわるものでしかないが、将来、写真にちりばめられた全てのものが、私が生きた時代を表してくれるだろう。
勝倉 崚太