彫刻における台座は、かつて鑑賞のための用途という物理的機能や、時代をさかのぼり、彫刻本体が有機的なもの、例えば人体といったものであれば、それを侵犯することないよう無機的で抽象的な形態の台座が採用された。無論、須弥座といった仏教彫刻における台座のように台座そのものに象徴的機能を持たせることもあった。近代以降、抽象性の高い彫刻、ないしは立体的な作品と台座の関係はかつてのような機能性や象徴性が曖昧になる中、それだからこそ使用について慎重を要することになった。美術史家ロザリンド・クラウスも指摘しているように、実際に彫刻が設置される場所(=モニュメントとして)と作品=再現表象の仲介者としての台座が、19世紀後半以降、そのモニュメンタル性という彫刻に課さられた慣習の衰微によって機能を失うことになるのもそうした背景の一つだろう。
さて、青木悠太朗の作品には台座がない。床や壁に直に展示されている。ここでの台座がないことの意図は、鑑賞者自身がその身体を移動されることで作品鑑賞を十全なものとすることにある。人体彫刻であれば正面があるが、まるで、山に正面—正面を作為することはあるがーがないように、青木の作品は正面を持たないし、表も裏もない。床にせよ壁にせよそこに布置された作品はその設置された場とともに初めて一つの環境を得ることになる。かつて美術評論家の中原祐介が指摘したように、近代以降の美術は、量産と情報の社会=都市の美術であり、そこではお互いが自立はするが有機的な関係を持たない動的であるという新たな環境を作り上げてきた。今では、彫刻として、神聖なる場でイコン(の正面)と対峙するという環境はある意味で失われた。青木の作品は、自身の言葉を借りれば「作品は上がったり、下がったり、一部しか現れない。それによって視線が変化することで、かたちだけでなく、その空間、見えない、意識の外にあるモノも見えくるよう」に作品を構成することで、それぞれの作品=断片が受容者の身体的な動きによってようやく一つの世界が現れてくる。ここでは、床に置かれるか、壁に設置されるかは、その展示空間の環境によって変化する。台座がない代わりに青木は、こうした駆体としての床や壁といったすでに在る環境にその作品を布置することで、作品と物理的要件と、そして受容者との間で創造される対話を作り出そうとしている。
横浜市民ギャラリーあざみ野
主席学芸員 天野 太郎
参考
中原佑介「見ることの神話」フィルムアート社 1972
ロザリンド・クラウス「展開された場における彫刻」1978
「オリジナリティと反復」、リブロポート社、1994所収