光の重さ フォトスキアグラフィア Weight of Light -Photoskiagraphia
"You aren't shiny enough to see me, but I can see you"
ある日、着ていたパーカーの小さな魚の形をしたクロームのジップが目に入った。魚は鏡のように、周りの風景を自分に映し込んでいるのだろうと思い、それを見に行ったところその魚は曇っていた。魚の上に私の顔は映り込まず、見えたのは曇った魚の姿だけであった。思わず発した自分の言葉にハッとした。
”You are not shinny enough that I can see you” (曇っているからあなたが見える )と。この曇りが”自我”という言葉と重なった。魚の自我が強いために、魚の世界に私は存在していない、と。
自然現象と人間の心には呼応し合う何かがあり、ゆえに自然が美しいと感じられるのではないでしょうか。目には見えないが、地球の海に値する命の泉とでも言えるような何かが、この膨大な宇宙に充満して作用しているのではないか。そしてそれは人間の心と呼応しているのではないかという直感的な考えから、宇宙の不可視領域の世界の可視化が制作のテーマとなっています。宇宙という森羅万象の中に、私たち人間の心と呼応する何かが存在しており、その理解、共感、同期、体感を通じて、新たな感性のドアを開けることができるのではないかと模索しています。
このシリース作品は、前展覧会「 Residue」で発表したフォトスキアグラフィアに鏡面を加え,3つの要素を扱いました。無色透明が故に視覚的には存在してないとも言えるレジンと、物質を映す存在の鏡、そしてそれらの在り方を可視化させる光の3つの要素です。フォトスキアグラフィアは、透明な描画材・支持体に光を与えることで、光と影という両極の性質が共存し相互作用する作品を称し、 photo (光) 、skia (影)、 graphia (絵)を合成したギリシャ語由来の造語です。
河合 里佳
2017年11月
媒介の透明性をめぐって
河合は、透明な描画材・支持体に光を与えることで、光と影が共存し相互作用することを表現に取り入れ、自身それをフォトスキアグラフィア(photo (光) 、skia (影)、grafia (絵))という造語で命名しています。質量は持つが光学的に直接観測できない天文学的現象である、いわゆるダームマターの存在が示され、必ずしも視覚的に確認出来るものだけで世界が構成されていないことが判明しました。こうした成果も射程に入れつつ、不可視領域の世界をどう可視化するかが河合のテーマとなっています。2003年以来使用しているレジン(エポキシ樹脂)を、2011年に発表した自画像では、透明のレジンで水滴を表し、窓ガラスに付着する雨滴の形相を浮かび上らせ、それに光をあて、レジンのレンズ効果で壁面に光と影の両方の影を落としていくという作品を発表しています。
こうした河合の表現のプロセスは、戦地に赴く恋人の影の輪郭をなぞることで絵画の誕生とした大プリニウスの「博物誌」(第35巻)を想起させます。影を描く、つまり河合の造語にもあるスキアグラフェーは、同時に影を定着させる技法=カロタイプ(写真)にも繋がります。河合が求めようとしているのは、レジンという透明性のあるメディウムによって、それでもそこから影が生じるという事態が、対象がそのまま伝えられるのでなく幾つかの要件.メディウムの厚さ、メディウムの透過性等.によって変容を来すことを示すことにあるように思われます。ここでは、事実上予見としての可視的イメージは担保されず、想定外の不可視領域からの変容したイメージの生成を経験することになります。
横浜市民ギャラリーあざみ野
主席学芸員 天野 太郎